体罰について考えるといろいろと見えてくることがある

2013年1月15日

教師の暴力って昔から延々とありますね。これをどう思うかは、ひとえに個人的な問題なんじゃないだろうかとも思うわけです。嫌な人は嫌なわけだが、一方でそれを受け入れる人もいる。先生と生徒のコミュニケーションがどういう形っだのかということにつきる。

このたびの大阪市立桜宮高校の悲劇は、生徒が自殺してしまったことだろう。教師と生徒、たとえコミュニケーションがとれていたとしても、それは見せかけだったんじゃないか。

いいかどうかは別にして、昔は子どもがいうことをきかないときには、親が殴っていた家庭が多かった。現代の子供たちのほとんどは、親からの愛のムチなんて受けていないだろう。逆に愛じゃないムチ(虐待)は増えているのだが。少なくとも昭和以前の子供たちよりは、数倍打たれ弱いはずだ。
そんな状況下で、他人である教師からムチを受け続けたりするのだから精神的ショックも大きいのだと思う。そういうことを今の大人たちは考えなければならない。

今回の出来事に対しては、学生時代に体育会系のスポーツをやっていた人とそうでない人の温度差というものもある。さらに、スポーツを経験した人の中にもそれはあるだろう。
前中日監督の落合博満氏は体育会系の体罰について真っ向から批判をしている。元巨人の桑田真澄氏もその一人のようだ。

落合博満&桑田真澄の体罰に対する考えがスゴイ!殴ることで証明されるもの、指導者の力量不足

ヤクザ先生といわれた野々村直道氏のような考え方もある。

“やくざ監督” 野々村直道の提言「いじめっ子はぶん殴れ」

体罰と愛のムチは180度も違う!

高校野球が“しごき”だけで甲子園で優勝できるとは思えない。根性論まるだしの高校野球は好きではないが、生徒がどれだけ監督を信頼しているのかを想像するのは観ていてもなんとなくわかるものである。野球だけの例になってしまうが、他のスポーツ経験者で思うところも多いと思う。

先生もいろいろだが、生徒だって千差万別だ。素直な子もいれば、とんでもない子もいる。「おいおまえ、殴れるもんなら殴ってみろ。どんなことになるかわかってるんだろうな」なんて言葉で教師を恫喝するやつなんて絶対にいると思う。だから、十把一絡げには論じられない問題だ。

メディアから盛んに指摘されているように、市や教育委員会のシステムがなっていないということはあるかもしれない。しかし、それ以上に、当事者である監督と生徒のどちらもが、落合氏の『采配』や野々村氏の『ヤクザ先生と呼ばれて』のような、スポーツを教えること、やることって本来はどういうものかということについて書かれている書籍を読んでいたら、一つの命が助かっていたのではないかと思ってやまないのである。

すべては信頼関係に基づいている。その意味でも教師という職業の責務は重い。聖職といわれる所以である。

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