「遊び」はセンスだということを勘三郎さんに学んだ

2013年1月6日

昨年も多くの著名人が亡くなられたが、その中でも十八代目中村勘三郎さんが鬼籍に入られたことは残念でならない。ぼくよりも少し上の年齢であり、出身大学も一緒なのでなおさら親近感があった。この世代にとっては襲名前の勘九郎という名前のほうが馴染みがあった。

日本ではどれくらいの人が生で歌舞伎を観たことがあるのだろうか。観ることが難しい環境にある地域のほうが圧倒的に多いには違いない。おそらく歌舞伎ファンでもない限り、知っている役者は少ないだろう。
その中で勘三郎さんは、NHK紅白歌合戦の司会や大河ドラマへの出演などでマスメディアへの登場も多く、お茶の間(古過ぎ?)にもその人となりが伝わっていた。

彼の舞台を一度しか観たことがないので偉そうなことはいえないが、古典芸能という範疇を超えた素晴らしいエンターテイメントを感じたものだ。古典芸能は、先人から受け継いだ芸を後世に伝え続けることが本筋だろうから、まず何よりも「芸の職人」としての資質が必要だ。

彼の魅力は、そこに「遊び」の要素を取り入れていたことではないだろうか。芸における「遊び」は、観客に適度なリラックスと興奮を与えてくれる。時にちゃらんぽらんに見える話題でメディアを賑わすことが度々あったように、遊び人風なイメージを持たれていた。しかしそれは、「なあんだ、あいつまたあんな事やってやがるよ(笑」という、どこかにくめない性格によってプラスに働いていた。

そしてその「遊び」は、コクーン歌舞伎、平成中村座、英語でのニューヨーク公演などもっと大々的なものとなり、今までの歌舞伎という世界の殻を破る原動力にもなっていった。決して原点をないがしろにするのではなく(金丸座のこんぴら歌舞伎などはむしろ大衆芸能であった歌舞伎という原点に立ち返っている)、そこを起点に「未来の歌舞伎はこうありたい」という野心とを行ったり来たりさせているのである。

古典芸能に限らず、老舗や永く続くブランドほどそれを維持し続けるにはそれなりの努力が必要だ。そういう店や企業ブランドが努力の甲斐もなく消え去っていくのが昨今の状況である。「遊び」というのはそんな時にこそ必要なのかもしれない。「冒険」と紙一重でもある。もちろん、同じ場所にとどまって実直にマジメにやることが悪いわけではないが、それだけでは難しい時代でもあるのだ。

言うは易しでもあるし、「遊び」過ぎてもまずい。「遊び」には、頃合いやセンスも重要だ。仕事でも、うまく「遊べた」デザインや企画は通る確率が高かったりする。

ご子息である勘九郎さんが将来、十九代目の勘三郎を襲名するのだろうが、親父さんと較べるとかなりマジメのようだ。これからどう「遊び」を入れていけるかというのは見ものでもあるが、真似をしても無駄なことは当人が一番良くわかっているだろう。偉大過ぎる父のあとを継ぐプレッシャーは相当のものだろうが、まずは自分ならではの「遊び」スタイルを楽しみに待っていたい。

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