どんどん変わるねコンピュータ。次はウェアラブルだとか。

2014年3月15日

このブログは、当初『アナログデザイナーのIT変遷記』というタイトルだった。「どこまでついていけるか?」というサブタイトルもあった。世の中がアナログからデジタルに移りゆく中で、その流れに追いついていくことは仕事上で至上の命題だった。そして今、長年慣れ親しんできたコンピュータの姿は、さらに劇的に変化しつつある。あらためて、どこまでついていけるのだろうかと考えてしまっている。

 

その最先端がウェアラブルコンピュータという、舌を噛みそうな英単語でいわれているデバイス(端末)だ。これは、常に身につけて持ち運ぶことができるコンピュータのことをいうらしい。スマートフォンやタブレットがやっと一般にも普及し、今までのコンピュータスタイルがパソコンからモバイルへと変化し始めたばかりだというのに、もう次だ。本当に早過ぎるよ。

Googleグラスというメガネ型デバイスが発売目前といわれ、アップルからは腕時計型デバイス『 iWatch(という名前になるの?)』が今年発表されるという噂がある。Googleグラスについては、「カッコ悪いよね」とか「これかけて歩いたら危ないだろ」等々否定的な意見も出ている。腕時計型デバイスはどうかというと、先行しているソニーサムスンの製品の評判はとてもいいものとは言えない。まあはっきりいって無視されてますね。

『 iWatch(という名前になるんでしょ、きっと)』もまだ出てもいないので、それがどんなスタイルや機能で、どんな風に仕事や暮らしを変えるのかは想像もできない。でも、アップルが出すんだから先行組とはまったく違うコンセプトになるはずだよね、という期待は少なからず多い。ジョブズ亡き後の初めてのまったく新しいカテゴリーの製品なのだから当然だが、これで失敗したらアップルとしてもかなりまずいことになるだろう。

そして、こんなものが出ていたことを最近知った。

『魔法の世界へようこそ。日本の指輪型デバイス「Ring」がついにKickstarterに登場!』

いやあ、どんどん小さくなりますね。これは一種の万能リモコンのようなもので、目の前の空間に指で指示を書くことでいろいろなデバイスに命令を出したり操作ができるらしい。マイクロソフトの kinect や Wii のリモコン、Leap Motion のようなものと似た機能かもしれないが精度がまったく違うらしいよ。

Googleグラスも iWatch も身に付けるものには違いないが、指輪というのはさらに密接に身体の一部になるわけで、コンピュータを扱っているという違和感がぐっと少なくなるかも。スマートフォンやタブレットに採用されたタッチ UI はマウスという UI デバイスを消滅させ、今度はウェアラブルでタッチ自体が消えてしまう。デバイスと人との接触はどんどん少なくなり、人の本来の機能である声や目や指が UI となるということだ。

これは、急激な IT化で過剰に高度な操作が必要になってしまった UI が洗練されて、よりアナログ的なヒューマンインターフェイスへと回帰している現象といってもいい。デジタルの知識がない、操作が難しくてできないという多くのデジタルデバイド現象は劇的に解消されて、どんな人でも均質なコンピュータスタイルを楽しむことができるようになる一歩になるのだろう。

佐々木俊尚氏の『ウェアラブルは何を変えるのか?』というKindle本を読んだ。ここでは「センサー」の可能性が紹介されている。

アナログなモノをネットにつなぐための「媒介役」になるのが、センサーということなのです。モノそのものはネットにつながらなくても、モノの状態をセンサーで測り、そのデータを通信モジュールによってクラウドに送信することで、擬似的にネットにつながることが可能になる。(本文より)

ここで重要なキーワードになっているのは「モノのインターネット化」だ。そしてそのために欠かせないのがセンサーであり、当面はウェアラブルデバイスがその役目を担う。五感と連携できるウェアラブルデバイスは、身体から得られた情報をポケットに入れたスマートフォンやカバンの中にあるタブレットを介することで、ネット上のクラウドとのやりとりを可能にするということだ。

腕時計型のウェアラブルデバイスは、究極的には血管を通して血中糖度を認識し、成分を計測できるようになったりするとも予想されている。その他にも興味深い事例が取り上げられていた。想像の範囲を軽く超えそうな未来がすぐそこまで迫っている。そういえば、ネット上にはこんな記事も出ているね。

開発中のiOS 8画像が流出!iWatchと連携の「Healthbook」を標準搭載か

 

操作が簡単、もしくは意識をしなくても使えるようになるということは、コンピュータを使ったオペレーション的な役割の仕事がますます減っていくことを意味する。究極は、コンピュータはロボットというカタチで人の仕事のほとんどを代替することになるのだろう。自分が出来る仕事というものを考えていくことに終わりはなさそうだ。

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