テレビなんてさぁ…

2014年3月10日

占いみたいなもんだと思うんですよ。テレビで言ってることを信じるか信じないかは人それぞれ。実にいい加減なものだ。いや、別にテレビを馬鹿にしてるわけじゃない。そんなものだと思って観ていればいいというだけの話。

この一連のエセ作曲家騒動で驚いてしまうのは、テレビを始めとしたメディアにも責任があるんだから偉そうに佐村河内氏を責めるのは間違いだとか、彼を担いだメディア自身が総括しなければダメだとかいう論調が意外に多いことだ。そういう人たちは、いったいテレビに何を求めているんだろう。テレビってエンターテイメントですよ。常に正しいことを映したり言ったりすることなんてありえない。

例えば今回の件で、テレビ自身が殊勝に反省の色を示したとしても、こういうことは繰り返されると思う。テレビが「どの口で言う」といえるようなことは過去に何度もあったし今後もあるはずだ。いちいちそんな性善説的なものを守り続けていたら、テレビというものは見向きもされなくなるだろう。人は、平凡なものではなくてヤバいものを観たがる生き物なんだから。

実家にいる80歳を過ぎた両親は、昭和の時代にはテレビ絶対主義で、テレビは正しいと信じていた。だがこの両親でさえ、今はテレビを胡散臭いものとして観ている。ドラマやお笑いは楽しんでいるものの、ニュースやドキュメンタリーについては盲目には信じていない。田舎の普通の人たちでさえそんな風に思っている時代だ。テレビや新聞の影響力はまだあるだろうけれど、昔のような神通力は失われている。テレビを何の疑いもなく信じてしまう中高年は、オレオレ詐欺にひっかかるタイプが多いかもしれない。

もうひとつ、これはテレビの中で評論家(みたいな人)が言っていたこと。
「もうテレビやメディアの言う事にのせられて音楽を聴くのはよそう。自分の耳で確かめて、本当にいいと思ったものを聴かなければこういう問題は起きてくる。」
これも何を寝言いってるんだろうと思ってしまった。

人は自ら音楽を聴こうというときに、どんな曲が流行っているのかを気にする。また、友人に教えてもらったり、あるいは、何かの番組で紹介されていたりというきっかけで聴くことも多い。むしろそれは普通のことではないか。有名になっている曲や歌は、本当に氷山の一角だ。しかし、一般に知られていないあまたある音楽の中から、宝くじでも買うように「アタリ」を選ぶのはかなり至難の業なのだ。

そうやって音楽は、なんらかの色眼鏡、フィルターを通してから聴かれているといっていい。本や他のエンターテイメントと同様に、ある意味ここでもキュレーション的な選択がなされているのだ。ほとんどの場合にそれは、何の疑問も生まずにメリットのみを享受しているはずなのだが、佐村河内氏の一件はデメリットが大きく露出してしまった事件だと思う。単にそれだけだ。大上段に「自分の感性だけで選べ」などというのは現実的には難しいのである。

だから、テレビなんてさぁ、マスメディアなんてさぁ、とそれを拒否する必要はまったくない。うまく付き合っていけばいい。当るも八卦当らぬも八卦。そういうのが楽しいんじゃないか。

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