『永遠の0』で泣けなかったのは、感受性が鈍った証なのだろうか

2014年1月20日

ずいぶんと出遅れてしまったが、先週『永遠の0』をやっと観た。ただし、ベストセラーとなっている原作は未読である。こういう場合、どちらを先に読むか観るかで感じ方は大きく変わるのだろうけれども、そのあたりを差し引いての上で、つまり映画だけを観て思ったことを書いてみたい。まだ公開中なのでネタバレ無しです。

この映画は、ベストセラーの映画化というだけで話題になっているわけではないと思っている。安倍政権に変わり、反日が激しさを増したことに対する嫌韓や嫌中が増え、特にネトウヨによる先の戦争に対する視線の増加が拍車をかけているのではないだろうか。『少年H』や『風立ちぬ』といった同時代をテーマとした映画と間を置かずに公開されたこともあるだろう。

これは一種のブームといえないこともない。悪くいえば、山本七平氏いうところの『空気』になるのかもしれないが、そこまで過剰な現象ではないだろう。少しブームに乗ってみた。

これを観た人たちの中で号泣した人の割合ってどれくらいなんだろう。それが、観終わった後の正直な感想だった。ネットでの感想では、どうも号泣組が多い印象がある。
映画のプロモーションサイトには、「その奇跡に、日本中が涙する。」とこの手の映画にありがちな煽りコピーが書かれているが、実際に観た方々はどうであったろうか。

ぼくは、号泣どころか一筋の涙も、目頭がうるうるすることもなかった。もしかして、鬼? 不幸な奴だと思われるか、非国民と罵られるのか。泣けた人達からはそう思われても仕方がない。泣かせどころは多いと思うのだが、観覧者の泣きを意識しすぎて少しあざとくなっていないか、などと思って観ていた天邪鬼なのである。涙の前に何呼吸もあって、醒めてしまうのだ。

ぼくは例えば、恥ずかしながら号泣してしまった『北の国』からの五郎の泥のついた一万円札のシーンみたいな泣かせ方に弱い。『永遠の0』のような大義と家族との葛藤という傾向でいえば『壬生義士伝』のほうが何倍もこらえきれなかったものだ。

実を言うと、このストーリー展開も僕にとってはどこか既視感があって意外性が感じられなかった。そして、戦争の体制的な面の悲惨さをこの映画において“特別に”意識することはなかった。そういうことを言いたい映画ではないんじゃないだろうか。であれば、やはり涙なのだろうと勝手に思ってしまう。

ただそういうことを抜きにすれば、役者の演技は良かったし、SFXも『ALWAYS三丁目の夕日』よりも数段進化していて素晴らしかったと思う。岡田准一の眼差しはなかなかいいです。

ぼくは、戦争のことについて過去に戦時中の話を聴く機会があったり、当時の文章をいろいろと読んだりしていたため、だいたいのことは知っていたということも醒めた目で観る要因になっていた気もする。要らぬ知識(必要な知識だとは思うのだが)が感受性を阻害してしまったのか。

知り合いの若い子たちは涙が止まらなかったらしい。それも聞いていたので楽しみに観たのだが…。戦時のことに今まであまり興味がなかった若い世代が、この映画で号泣できるのはむしろ自然なことかもしれない。主人公があまりにも急速に興味を示していくさまが拙速で不自然に感じられたのは、こちら観る側の年齢にもよるのかね。

しかし、大の中年男が涙や泣くことについて云々するのも情け無いといえばそうなのだが、もはやそんなことが許されるご時世でもあるのだから大目にみて欲しい。これから書籍『永遠の0』を読むつもりだ。はたして、ぼくは号泣できるのだろうか。別にできなくてもかまわないけれどw

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