さらば、大瀧詠一。

2014年1月1日

なんと、暮れの30日に大瀧詠一が亡くなった。その10日ばかり前の夜、久しぶりのカラオケで「冬のリヴィエラ」を歌ったばかりだった。「熱き心に」もよく歌うし、「さらばシベリア鉄道(セルフカバー)」は今でもかなりの頻度で聴いている。意識はしていなかったし、熱狂的ともいえないが、静かな、彼のファンではあったのだと思う。

大瀧詠一は、「はっぴいえんど」というバンドが出発点だ。「はっぴいえんど」は、特に音楽ファンではない若い世代にはあまり知られていないだろう。僕は中学生の頃、はっぴいえんどを中心としたその周辺の音楽に傾注していた友人の兄貴の影響で、そういう音楽を聴いていたりしたので、意外に同時代の感覚で知っている。今思えば、すごいバンドだった。

「はっぴいえんど」は4人のバンドだが、レノン〜マッカートニーという二人が突出したビートルズよりも、メンバーひとりひとりに独自性があり、個が突出していた。アルバムを4枚出しただけで解散してしまったように、それぞれの方向性はかなり違っていて、このバンドを長く続けることは互いに無理だったといわれている。CDでしか持っていないが、この4枚は必聴だよ。どれがベストかなんていえない。「はっぴいえんど」での大瀧詠一の存在や音楽については、あまたのファンや評論家が述べているだろうから、僕ごときが書いてもボロが出そうなのでやめておきます。

大瀧詠一は、一般には「はっぴいえんど」解散後の活躍のほうが知られている。ポピュラーになった歌が多いからだし、様々なミュージシャンを発掘したり影響を与えたりしてることも大きい。

山下達郎を見い出し、ロングバケーションのようなポップで都会的イメージを代表しているような反面、メロディアスでどこか郷愁を誘うような曲調も多い。この辺のギャップにこそ魅力があるのではないだろうか。

今回の報道で、不覚にも彼が岩手県花巻で生まれ育ったことを初めて知った。そういうバックボーンがあることが音楽性にも表れていたんだなと、今にして思う。同じ北国で生まれたものの感覚として、だから、なんとなく親近感というものがあったのかもしれないのだ。

都会という華やかで新しいものへの憧憬、南国のパラダイスとしての暖かさへの欲望、そしてまた、「冬のリヴィエラ」や「熱き心に」のように北国に回帰し、冬の寒さを楽しむかのような力強い曲調。どれもこれも決して女々しくはなく明るさがあるのに、切ない感覚で惹かれてしまうメロディライン。土着的ではないこの深みは、宮沢賢治に共通するのではないか、と一瞬こじつけたくなる。

そして、このツイートを読んだ。

やはり、賢治だ。若者よ、バイブルだよ、これは。

若い頃にいいものはいいと思ってストレートに聴いていた音楽を、こんなバックボーンを語り、薀蓄を傾けるような聴き方をするようになってはダメなのかもしれない。でも、歳を重ねるということはそういうことでもあるのかと、新年にあらためて思ったりするのである。

そんなことを大瀧詠一という稀有なミュージシャンの訃報に接して書いてみた。天国でも名曲を。

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