お伊勢さんの式年遷宮に思う、人間の一生

2013年10月14日

外宮の式年遷宮敷地

なんていうタイトルを付けてみたが、かなり大げさだな。10月の初め、伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮の最大行事である遷御(せんぎょ)が終わった。最近のニュースでも頻繁に取り上げられていたので、観た方も多いだろう。今年は一種の伊勢ブームになっている。式年遷宮の行事全体は何年も前から行われるほど期間が長い。

以前、某雑誌に掲載するシリーズ広告企画のひとつとして、この式年遷宮を取材したことがある(写真は外宮の新社殿用敷地)。伊勢市駅前は、外宮の玄関口とは思えないほどさびれていた印象がある。もう7年も前のこと。当時に取材や撮影をさせていただいた木曽ヒノキが、社殿として形になり無事完成したのだと思うと感慨深い。

木曽ヒノキ用材であるヒノキだけでも1万本以上が使われるというとてつもない事業。木曽谷の国営林に植林を続けても追いつかず、戦前から宮域内にも植林をしているが、まだまだ間に合わないため、今回は間伐材も使用している。実際に使えるのは樹齢200〜300年のものというのだから、気が遠くなる話だ。今回が62回目と聞くと短いように思うが、なにせ20年に一度でこの回数なのだ。この行事が1300年以上も前に始まり、今に続いているという現実を知ると頭がくらくらしてきそうである。

日本人の心のふるさととか精神的な支柱とか、そんなセンチメンタルなことをいうつもりはないが、あの森に入ると空気が変わるということだけは、この鈍感なぼくでも良くわかった。おそらく、植物を含めた生態系が、あの場所では長くそのままに保たれていて、人が持つ五感に絡み合ってくるのではないだろうか。

 

さて、遷宮という行為はなぜ必要なのか、そして20年というスケールにはどのような根拠があるのだろうか。取材時にもいろいろと話を伺ったのだが、その理由が正式には記録に残っておらず、想像や先人からの言い伝えでしか推測できないということであった。これは Wikipedia に書かれていることがほぼそうなので、そちらを参照して欲しいのだが、個人的に興味があるのは20年のほうだ。

10年ひと昔と言うが、20年という節目は何だろう。

仏閣には、古寺や名刹という「古さ」がひとつのステータスになっている場合が多い。だから、修復こそすれ建て替えなどはほとんどしない。神道の場合は「穢れが無い」という思想が根底にあり、常に新しいものが良しとされる。建物としての新しさを維持できる限界が20年と考えられていたことは想像できる。今の一般住居であれば10年くらいだろうけど。

また、社殿を建て替えることで、日本古来の最も伝統的な建築様式を宮大工の間で継承していくということもある。現在のように平均寿命が長くなく、人生40年や50年という時代であれば20年は丁度よい年数なのかもしれない。

他にもいろいろとあるようだが、中でも人間の一生で「区切りがおよそ20年である」ということに賛同したい。これも今の寿命ではなく昔の、つまり人間が本来持っている細胞としての寿命を基準にして考えるのである。人は生まれて、成人して一区切りを迎える。それが20歳だ。そこから、子を作り20年間育てて、40歳で子が子孫を作れるところまで育て終わると役割を終える。人の体はそういうようにできているらしい。それ以降の人生はボーナスみたいなものだと。

神様は未来永劫であるが、それが宿る社殿は人間というリアルなものと同じである。古代の人たちはそう考えていたのではないだろうか。
ぼくなどは50もとうに過ぎているので、少しはボーナスをもらえているのだろう。楽しく生きなければ損である。まあそういう余裕も無いのであるが。

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お伊勢さんの式年遷宮に思う、人間の一生」への2件のフィードバック

  1. Taeko Usui

    面白く読みました。 視点の定めかたにセンスを感じます。  次回を楽しみにしています。    ボーナスを超えて期末決算賞与の…t.u

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    1. syunmei 投稿作成者

      Usuiさん、ありがとうございます。ご褒美と思って生きましょう。

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