デザインなんて本来ソーシャルなものなのだ

2010年10月13日

先週、TechCrunch Japanに紹介されていた記事より。

われわれはまったく新しい世界に踏み出そうとしているのだと思う。最初のウエブデザイナーは印刷物のデザイナーだった。その後デザイナーは人間とコンピュータの相互作用を学ぶようになった。そして今や次の段階が始まろうとしている。 われわれはこれをソーシャル・デザインと呼んでいる。

『Facebookのバージョンアップ発表会ライブ―新しい「グループ」など重要機能多数』からプロダクト担当副社長Chris Cox氏の言葉〜

それをソーシャル・デザインと呼ぶかどうかは別として、その前文はなかなかいい言い草かと。

今でも一般的には、デザイナーはビジュアル面を発想し、カタチを作っていく人のことと思われているようだ。そういう面ももちろんあるのだが、元々はデザイナーというのは「情報」をどううまく「編集」していくのか、ということに7割くらいの力を注ぎこむ職業なのである。

まず、「情報」ありきなのである。この場合の「情報」とは、そのデザインされた最終型が目的を達成するために必要とされるすべてのことだ。つまり、クライアントが発信したいこと(ブランド・商品内容・サービス等)であり、受け取り手である消費者の情報(ターゲット・嗜好等)であり、社会のムードでもある。ビジュアルはそこから導き出されたひとつの結果にしか過ぎない。本来、デザイン自体がソーシャルなものなのだ。

そして、この傾向はウエブ時代になって益々強く意識され始めている。絵がうまいから、ビジュアルの表現力に優れているからという理由だけでデザイナーとして存在し続けることは、現在ではほぼ不可能に近い。

既成概念のデザインやデザイナーという職種は今、グチャグチャになり始めている。単に見栄えの良い「カタチ」に仕上げるという仕事はビジネスとして成り立たなくなりつつある。コンピュータとソフトウェアの進化は、そういう職人芸のようなブラックボックス的仕事をこそ一般の人々に開放した。印刷系、代理店系、デザイン系、企画系、ウエブ系、システム系、ソフトハウス系など元々の専門業者の垣根がなくなってきている。就職できない学生や定年になってお金にも困っていない団塊系の方々の参入も激しい。

これからのデザインを構築していく人は、年齢・経験を問わずどんなジャンルから出てきてもおかしくないだろう。もう、そういう時代だ。

デザインなんて本来ソーシャルなものなのだ」への3件のフィードバック

  1. 松本淳

    文脈を外してしまっているかもしれませんが、デザインをソーシャルなものとして位置づけることは、バウハウスを思い出させます。バウハウスの当時、すべての技芸の集まるところは建築だったかもしれませんが、いまではそれがWebの大伽藍になったのだと思えば、基本的な発想はほとんど変える必要がないのかなと。

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  2. kasttbs

    コメントをありがとうございます。
    デザイナーが自分のことを『クリエイター』などと呼ぶようになった頃から、何か勘違いをし始めてきました。日本のデザイナーの多くは、少し情緒的(感情的)なものに流されすぎていると思っています。単なる職能、職人でいいのです。
    バウハウスは、日本では権威付けのような存在となっていますが、社会の動きに対応した合理主義・機能主義に基づいており、おっしゃるとおりまったくもってソーシャルだったといえます。ウエブ時代のデザインでこそ、引き継がれる遺伝子です。だからこそ、今の文系的・芸術的なデザイナーに危機が訪れているのだと思います。(まるで他人事のように言っていますが…。)

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  3. 松本淳

    私は芸術的な方面に疎いので知らなかったのですが、バウハウスが「権威付けのような存在」になっているのだとしたら非常に残念です。私の中ではインダストリアルデザインとエディトリアルデザインの元祖、という位置づけなんですが。
    芸術的な才能をもったデザイナーの凄いなと思うのは、その成果が理屈で考えても納得できるときですね。理論なんか吹っ飛ばすショートカットでそこまで到達できる力は凄いと。それこそ職人技、なわけですよね。

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