A Day In The Life

2010年9月19日

あと2週間足らずで9月が終わる。世界でここだけが公式という、ジョン・レノンの遺産を展示している『ジョン・レノン・ミュージアム』もそれとともに閉館となる。実はまだ行ったことがなかった。いつか行けばいいやと思っているとこんなことになってしまう。いつか、なんて無いのだ。休日は混むだろうと思ったので、金曜日に行ってみた。

ビートルズのものは別にして、彼のソロアルバムは2枚しか持っていないのだからファンとは呼べない。ファンであったなら、今までに何度となく開催されてきた企画展の度に足を運んだであろう。展示自体は、幼少期の頃から凶弾に倒れるまでの足跡を紹介しているという極めてノーマルなものだ。しかし、僕のような『ビートルズに遅れてきた世代』にとっても、その一時代を築いた張本人が身に付けていた衣服やギター、手書きの歌詞などと間近に対面することが出きたことは感慨深いものがあった。

と、ここまで読んできて、はたしてこいつ何を書きたいんだろう、と思われたかもしれない。実はここからが少しIT絡みなのだ。

iTunesの登場で、音楽を取り巻く状況が激変したのは周知の事実だ。エジソンの蝋官からレコード、そしてカセットテープやCDへと、音楽を世に知らしめる道具立ては少なからず変化してきた。CDは文字通りデジタルの産物なのだが、配布はモノとして存在している。ここで一気に変化が起きたのは、iTunesのような本来の音としての音楽のみを配信する方式によって、音楽が目に見えない存在感として浮遊し始めたことである。音楽業界はパッケージ産業ともいわれているが、そのパッケージが消えてしまったのだ。つまり、モノの消失である。

ジョン・レノン・ミュージアムでの展示を見るにつけ、節目節目に重要な要素として登場するモノがある。レコード(一部CD)ジャケットだ。特別なファンでなくとも、そのアルバムが発売された頃のことや自分がそれを購入した頃のことがオーバーラップし、ノスタルジーに浸るという以上に当時の考えなども甦ってくる。音楽というものは、それ自体が楽しめ記憶に残ればいいのかもしれないが、視覚、ビジュアルを伴うことでより鮮明さを増すのではないだろうか。以前にブログで『思い込み』のことを書いたが、今回は『思い入れ』である。アルバムジャケットについては、なによりもそれを出した本人自身に並々ならぬ『思い入れ』があるに違いない。

もちろん、先ほどあげたパッケージ産業 vs 配信産業としての音楽ビジネスということで考えると、音楽からパッケージを取り去り、流通経路もシンプルになるともっと安く買えるはずだという消費者も多くいるであろう。レコードやCDパッケージなどは邪魔なモノでしかないという人もいるだろう。だが、このような展示でアルバムジャケットが何もなく、延々と音楽のみが流れているばかりでは空虚に思えないだろうか、と考えてしまう。このままだとそんな時代が来そうだ。もっとも、音楽といえばダウンロードすることが当たり前の世代にとってはいらぬ心配かもしれないが。

ITは効率化を最優先にするというのが大原則であろうが、人間の五感をも効率化してしまおうというのは無理がある。音楽は聴覚だけのものでいいはずがない。エジソン以前に先祖返りしようとしているのだろうか。少なくとも僕は、そんなに潔い考え方はできない。LPがCDに置き換わり始めたときに最初に嘆いたことは、そのパッケージサイズの小ささである。そして今度は、パッケージ自体が無くなってしまおうとしている。それとともに『思い入れ』も。

音楽のみならず書籍でも同じ轍を踏もうとしていないか。

また、個人的な意見ですが、平積みで上下巻並べると一枚のキレイな絵、思わず手にとってレジへ・・・・なんて世界や、人間の五感を刺激する『装丁の美』『持った感触』『紙質』『匂い』『本棚に並べた時の部屋全体の雰囲気』等々は電子書籍では絶対に無理です。

上記は、sugibeya氏のブログ『やっぱり紙の書籍は無くならない』からの引用だが、このような見解があることはもっともであろう。五感やそれに絡む『思い入れ』がある限りは、そんなに簡単に割り切れる問題ではない。かろうじて、本の分野は今後もしばらくはアナログとデジタルが両立できるような気がしている。かたや音楽はというと、少し寂しい現状ではないだろうか。

 

ちなみに、このブログのタイトルは僕が最も好きなジョン・レノンの曲だ。
詞はいかにも日常のひとコマなのだが、曲が異常にサイケデリック(死語?)です。ビートルズの名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の最後に収められている。ジャケットも秀悦!

A Day In The Life」への6件のフィードバック

  1. Qhara

    kasttbsさん、こんばんは。
    少し違った観点から考えてみると、iTunesではアルバムイメージ・カバーフローを含めた環境を統合的にサポートしていることでパッケージ状態から失われた物をも可能な限りフォローしようとしていると考えられるのでは?この辺は統合的にdb利用をしている強みが現れているように感じてます。
    とはいえ、まだ不充分ですけどね。iPadではカバーフローを行えません。それでもiPad画面一杯のジャケット画像はまた素敵な物です。手軽でありながら奥行きの深いiTunes環境のもたらしてくれる恩恵もまた自分にとっては大きいと感じる次第です。
    あいにく平日に行くことは無理なので、明日にでもiPadに入れたJohnのMTVをお供に、ミュージアムに行ってこようと思います。
    閉館を思い出させてくれてありがとうございます。

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  2. sugibeya

    sugibeyaです。
    先日ツイッターで何気なくつぶやいた文章・・・
    『やっぱりレコードの音が一番って言う生粋のオーディオマニアと、書籍はやっぱり紙でなきゃっていう連中は似ているね。・・・俺もそうだし。ちなみに車も70年代車が好き。と言いつつ外では圧縮ファイルで音楽聞いて、電子書籍で、普段の足は最近のドイツ車。新旧お互いいいとこ取りすればいいのよ。』
    こういう事なのかなあと思います・・・

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  3. 鍛冶 哲也

    私はたくさんCDを持っている音楽マニアでございますが、アルバムジャケットへの思い入れはありますね、やっぱり。
    出先では、iPod Touchで音楽聴いていますが、これを買った大きな理由のひとつが、上でQharaさんのコメントにもあるカバーフローでした。アルバムをぱらぱらめくるあの感覚は確かに楽しい。でも、画像のない作品が多いのは悲しい。とてもとてもとてもとても悲しい。

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  4. 鍛冶 哲也

    そしてもうひとつ大きな問題があります。私は大量に音楽を聴いていますが、曲名を意識していないのです。頭に浮かんだ曲を曲名で指定できません。どのアルバムにはいっているか、思い出せればいい方です。それすらできないこともある。そしてアルバムの認識方法も、アルバムタイトルよりはジャケットの絵で覚えてることが多いです。
    考えてみたら、アルバムタイトルをちゃんといえる作品の数ってそんなに多くない。でもジャケットの絵を見たら自分がもってるかどうかだいたいわかるでしょうね。記憶というものは五感とつながっていると忘れにくいときいた気がします。

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  5. 鍛冶 哲也

    音楽を聴く時も、私はアルバム単位で聴いている。それはつまり曲の認識もアルバム単位だということです。曲単位ではない。
    今の私は、iTune で曲を買うことはなく、CDで買っていますが、ジャケットがなくなったら、私にとってはかなり困ったことになるかも。

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  6. kasttbs

    コメントありがとうございます。
    Qharaさん、
    鍛冶さん、
    カバーフローよりもiTunes LPにかすかな期待を抱いていました。国内では、やっとみたいですが。
    http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0904&f=entertainment_0904_012.shtml
    ただし、データというモノはどうしても「使い捨て」というイメージを拭えないのです。
    わざわざジャケット画像をプリントアウトして取っておくというのも本末転倒のような気がしますし。
    sugibeyaさん、
    僕もアナログ偏向信者ではありません。デジタルの良さとアナログの魅力は車の両輪ですね。LPを持っているのに、普段聴くのはもっぱらiPodに入れたデータです。

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